割り当てられるものとしての「性別」……3つの「性」①
- 永易至文

- 6月3日
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更新日:7月31日
人の性のありようを、セクシュアリティと呼びます。ラテン語のセクスアリス(性的な)と、抽象化するときの接尾辞-ityを合成した言葉です。ちなみに台東区にもゆかりのある文豪 森鴎外の小説『ヰタ・セクスアリス』(ラテン後で「性的生活」の意味)は、自身の性的ライフヒストリーを小説に仮託して綴った明治の衝撃作です。

このセクシュアリティは3つの要素の組み合わせとして捉えるとわかりやすいでしょう。3つとは、性別、性自認、性的指向です。
性別(sex)は、生物としての「雌」「雄」の違いで、ヒトではそれを「男」「女」と言っています。しかし、自分を男だ、女だ、と思って生まれてくる赤ちゃんはいません。私たちは出生時に外性器の見た目などで男や女と判定され、役所に出生届がされ、親の戸籍内に名前とともに性別を表す続柄(長男、二女など)が登録されます。「性別」は生まれたときに割り当てられるものといえます。
人はそうやって指定された性別で今度は「男の子として」「女の子として」育てられます。自我が芽生えてくるにつれ、子ども本人にも「自分は男の子だ」「女の子だ」という意識が育ってきます。
はじめから男/女としての自己意識をもって生まれてくる子はいません。出生時の「割り当て」とその後の育ちのなかで、性別の
自己意識は獲得されてくるのです。
そのときセクシュアリティのもう一つの要素、性自認(または性同一性)が登場します。
*このコラムは、台東区の公式見解を表すものではありません。



