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学校と“隠されたカリキュラム”

  • 5 日前
  • 読了時間: 3分

 私たちの性やジェンダーに関する認識や理解の形成は、学校とも大きな関係があります。



 人間には生物学的な性があること、社会には性にもとづくさまざまな違いがあることを、子どもたちは学校という集団を通過するなかで感得し、身につけていきます。たとえば、昔は教室で先生がこんな声かけをする場面があったかもしれません。


「はーい、男子はまえ、女子は後ろに並んで〜」

「男子は机運んで、そのあいだに女子は飾りつけしてください」


 クラスでお楽しみ会をするのでしょうか、楽しそうな雰囲気です。そして気さくな先生なら、ふざけている生徒に対し、


「なんだお前たち、男同士くっついて。ホモなのか?」


 そしてみんなはどっと笑い、その男の子たちも頭をかきながら離れたり……。いささか戯画化して描きましたが、こんな一コマ一コマから子どもたちは、男女の別、性別で規定される役割とその序列、そしてそこからはずれた振る舞いはすべて忌避され、笑われるものであることを敏感に嗅ぎ取り、学んでゆいきました。自分の学校時代を振り返って思い当たることはないでしょうか。


 日々接する教師の言葉だけではありません。


 トイレ、更衣室、制服、宿泊行事の入浴や寝室、持ち物や配布物の色や模様、名簿や席順、そして各教科の内容……。学校という場所は、この世は男女に分かれているという性別二元制と、親密さや性愛は異性間のみのものという異性愛主義が、いたるところに埋め込まれた空間だったといえます。


 そして、そこから少しでもはずれる子どもは、「ホモ」「おかま」「気持ち悪い」と呼ばれていじめの標的とされ、いじめは他の子どもたちにも“見せしめ”効果となって、性別二元制と異性愛主義をより強固なものにしていったことが、前掲の日高庸晴さんたちの調査で集まった当事者の回想などからうかがえます。


 教育学の研究者たちは、こうした学校の作用を、「ヒドゥン(見えない、隠された hideの過去分詞)カリキュラム」とか「シャドーカリキュラム(影のカリキュラム)」と呼んできました。


 1999年の男女共同参画社会基本法施行後の男女混合名簿の本格的な導入、後述する2015年の文科省の通知による取り組みなどにより、学校の現場は大いに変わってきました。教師もさまざまな研修機会で理解を深めています。もちろん、地域差や教師の経験差など、まだまだ過渡期というのが実際です。一部には学校の取り組みを「行きすぎたジェンダー教育だ」と反発する動きも報じられています。


 子ども・若者がかならず通過する学校が、だれもが安心して学べ、性をはじめさまざまな多様性に適応できる力を養える場となることが望まれています。

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